服を着ること

 

最近テレビを見ていると、大手洋服メーカーのCMが

「人はなぜ服を着るのだろう」とか問いかけてきたりする。

 

この服を着てるのは自分のため?それとも周りの人のため?

とか以前から個人的に考えてたこともありました。

 

そもそもなんでそんなことを考えるようになったかというと

「似合う服」を着ればいいのか「好きな服」を着ればいいのか

わからなくなってしまったことがあったからなんです。

 

前者で大切にされているのは「人にどう思われるか、どんな印象を与えるか」

後者で大切にされているのは「いかに自分が快適か、満足か」

ということだと思うんです。

 

23にもなってそこで板挟みになってしまいました。

結論は実はまだ出ていません・・・

 

はたちを超えてようやく人に告白されたりというようなことを経験して、

今は他者からの目線よりで服を選ぶことが多いような気がします。

 

究極は、自分のことを知り尽くして、

自分の魅力が120パーセント出せるような服を

自分で選べるようになりたいなあ・・・とか思う今日この頃です。

 

おしゃれな人って、流行の服やブランドの服を着ている人じゃなくて

自分に似合う服を知り尽くしている人なんじゃないか、と。

 

おしゃれになりたいものです。(切実)

 

正直は正義か

 

先日、私の友人AちゃんとBくんがした大きめの口喧嘩のお話。

 

3人で翌日の学祭に出す屋台で売る商品を作っていた時、

言い出しっぺのBくんが当日の段取りなどもあまり把握しておらず、

AちゃんがBくんに対してイライラして大きくため息をつきました。

 

するとそれに対してBくんが

「言いたいことがあるならはっきり言え!

僕は言いたいことをすべて言葉にして話す人間だから

相手もそうしてくれないとわからないんだ!!!」

とブチ切れたのでした。

彼が言うには、いままで思ったことを正直に話すことで

人間関係うまくいってたのだそう。

 

「正直に言う」タイプの人間だからといって

周りの人にそれを強要したり押し付けたりするのは違うでしょ、

と何とかその場を収めたのですが、何とも考えさせられる主張でした。

 

 

はたして正直に思ったことを言うって、正義なんでしょうか

 

私は、思っていること、考えていることがお互いにすべてわかってしまう世の中って

かなりおそろしいと思います。プライベートも何もあったもんじゃない。

 

恋人が横にいても「あ、あのひとかっこいいな」とか思うことだって

髪の毛ばっさり切ってイメチェンしてきた人に対して「イマイチ!」とか

思っちゃうことってあるじゃないですか!←

こんなのまだまだかわいいほうだけど、

それを全部言うのって平和じゃないし、いつも正しいとは限らないと思うんです。

 

だから、私は

「思ってないことは言わないけど、思ってることは全部言わない」主義です。

嘘はつきたくないので。

 

 

こういうのって正解・不正解ないので、

何とも難しい

 

以上、最近結構考えたことでした。

 

コンプレックスについて考える・最終回

 

3日にわたって綴ってきたコンプレックスに関する一考も今日で最終回。

まさかこんなに長くなるとは・・・コンプレックスおそろしや

 

・文系コンプレック

理系の世の役に立つ勉強をなさっている方々へのコンプレックス。

私の大学での専攻はドイツ語学・文学です。THE文系。

「なんでドイツ語?」は就活のとき挨拶のようなものでした。

惹かれたからです。恋愛と同じで相手を好きな理由なんて

言葉で簡単にすらすら説明できるもんじゃないんですよね。

ただこの研究が誰かの役に立つかと言われればたぶん役に立たない。

ただ、いわゆる「文学部」が必要ないかと言われれば答えはNOです。

大学で身に着けるべきいちばん大切なこととは

「物事を客観的・論理的にとらえ、考える姿勢」と私は考えます。

そして文学部でもそれは十分身に着けることができるんです。

その姿勢さえ獲得できれば、分野に関わらずとも

将来社会に貢献できる優秀な人材はたくさん育っていくと思います。

大学4年間かけて自分の興味ある分野に入って研究に没頭し、

目指すべき自分の将来像と向き合っていく、

これが無駄だということは決してないはず。

 

【解決策】

文系学生は大学で学んだことに誇りを持て。

研究に熱中した日々は必ずあなたという人間の糧になります。

 

・都会コンプレック

「都会っぽい」は褒め言葉で、おしゃれで時代を先取っていることを意味する一方、

「田舎っぽい」は時代遅れでどこか垢抜けないことを意味する。

でも本来、「大都市」と「地方」は上下で比べられるものではないですよね。

なぜならそれぞれのメリット・デメリットは表裏一体、人の考え方によるものだから。

「田舎には何もない、つまらない」と考えるか

「田舎は何もない、静かで暮らしやすい」と考えるかはその人次第。

だから地方出身を恥ずかしがる必要って全くないし、

大都市の出身がかっこいいわけでもえらいわけでもないですよね。

 

【解決策】

大都市も地方もメリット・デメリットは表裏一体。

優劣はないし、そもそも比較はできないから、

気にする必要はない!

 

 

ということで、コンプレックス最終回でした。

本当に思いの外自分のコンプレックスが多くて

書いていて驚きました笑

 

そんなコンプレックスも含めて自分を認めてあげられたら

きっともっと「すてきな人」になれるはず!

 

卒論も大詰めのこの時期に何をやってるんだ私・・・

と自分を責めながらも、文章を書く練習だと思って

ゆるゆる続けていきたいと思います。

 

 

 

 

 

コンプレックスについて考える・後編

 

 

昨日、NHKのある番組に心理学者アドラーの本が

取り上げられていたのを観ていたのですが、

彼もコンプレックスについては

同じような主張をしていて共感。

また今度ゆっくり彼の著書を読んでみたいと思います。

 

ということでコンプレックスについて考える・後編です。

単に経験を話したいだけなのでまとまってないんですけどね笑

 

ジェンダーコンプレック

ジェンダーについては話せば長くなりますが、

私はつい最近まで性差について何も考えていなかっただけでなく、

自分が「女」であるということを認識していませんでした。

そして「女性らしく」振る舞うことやおしゃれやメイクをすることは

「男性に媚びを売ること」「負けを認めること」「いやらしいこと」

だと思っていたんですね。

 

その考えが変わるきっかけになったのは留学でした。

1年間、ヨーロッパの女性を見ていて感じたのは、

彼女たちは女らしい色気を備えつつ、男性に劣らず強い。

男性の半歩うしろではなく、横を歩く。

色気と強さ、しなやかさは両立しうるのだと目からウロコが落ちました・・・

留学中に自分の理想に近い女性像に出会えたことで

女性らしく振る舞うことへの嫌悪感や恥ずかしさがなくなりました。

(そんな「自我の目覚め」のあと急にモテはじめ、

立て続けに告白されたりもしました笑)

 

 

【解決策?】

私の現在の基本的な考え方は「みんな人間!」

普段は男か女かということはあんまり意識しません。

でもやっぱり男の人の方が力が強かったり

女の人には生理があったり、子供を産んだり、

生物学上どうしようもないことってありますよね。

私は男女平等っていうのは、

「男と女が全く同じように扱われる」ことではなく、

「男女がお互いの性的役割を尊重しあうこと」だと思うのです。

容姿コンプレックスの話と通じるところもありますが、

性別の違いで仕方のないところは、理解はできなくても

尊重しあえたらもっと住みやすい世の中になる、かも?

 

 

・・・まだまだコンプレックス編、つづきます笑

今日はこのへんで。

 

 

 

コンプレックスについて考える

 

最近、自分が思いの外多くのコンプレックスを抱えて

日々生活していることに気がつきました。

 

そしてもうひとつ感じたことは「すてきな人」たちは往々にして

そのコンプレックスを受け入れうまく付き合っているということ。

 

自分の中のコンプレックスを自覚したいま、

それらといかにお付き合いしていくかを

そこかはかとなく書きつくります。

 

・容姿コンプレック

とてもわかりやすいコンプレックス。

私のことで言えば、

「背が高い」「声が低い」「顔が怖い」「下半身デブ」「ニキビ肌」・・・

などなど挙げだしたらキリがないので、ここらへんにしときます。笑

 

【解決策】

まず容姿コンプレックスを[努力して改善できるもの]と

[努力ではどうにもならないもの]の2種類に分類する。

前者については、まずコンプレックス解消に最大限の努力をする。

後者については、コンプレックスをポジティブに考えなおしてみる。

 

[努力して改善できるもの]

下半身デブ→ダイエット、筋トレ

ニキビ肌→スキンケアやメイクの見直し、皮膚科に行く

[努力ではどうにもならないもの]

背が高い→なめられない、大人っぽい服が似合う、痩せたらモデルさん!?

声が低い→落ち着いている、色気がある、うるさくない

顔が怖い→美人顔、大人っぽい、一目おかれる

 

・青春コンプレック

私は中学・高校と非常にイケてないスクールライフを送っておりました。

恋愛経験はないし、おこづかいのすべてをシャーペンに注ぎこんだり。

部活はやってたし、全国大会とかも出たりしてたので

青春全般というよりは恋愛に関する面が大きいかもしれません。

耳をすませば』とか『時をかける少女』とかの類の作品を観ると

なぜか落ち込んだり死にたくなったりしてしまうわけです。

純粋にうらやましいのとこんなの一度やってみたかったなー、

もうできないんだなーっていう悲しみよ!

 

【解決策】

「今」しかできないことをする。

「当時しかできないことをしてこなかったこと」

青春コンプレックスの原因があるのだという結論にいたりました。

振り返ってみれば、自分への自信のなさに塗り固められて

殻に入ったままの学生生活だったと思います。

そのことに気づいたからには、とにかく大学4年の今しかできないことを

全うすることがコンプレックス解消につながる気がします。

 

・学歴コンプレック

わりと地頭がよかった私は県内一の進学校に晴れて合格したわけですが、

周りの優秀でキラキラした同級生たちに囲まれて、

コンプレックスの鎧をまとって3年間を過ごしました。

行きたい大学もないまま受験期を迎え、地元の国立大学にギリギリ現役合格。

結果的にいま、この大学での学生生活は非常に有意義だったと自負しています。

学ぶことの本質的な楽しさを知り、海外での長期留学も経験できました。

でも世間一般から見ればまあ普通の国立大学。

高校の同級生や弟たちに対するコンプレックスは消えたり顔を出したり。

内定先の先輩や上司たちからの目線も若干冷たかったり・・・

 

【解決策】

堂々としてればよい。

自分の学生生活に誇りがあれば学歴は本当に関係ない。

結局人間力が社会ではいちばん大事だから。学歴差別発言は笑顔でスルー。

ただし、大学受験期の努力不足は否めないので、

謙虚な姿勢で勉強を続けていくことは忘れない。

 

なんだかコンプレックスが多すぎて(笑)

書き出すと止まらない・・・後編につづく。

「表現者」になる

 

 

あるブロガーさんが「ブログを始める」ことはすなわち

表現者になる」ことだとおっしゃったのがなんとなく印象的でした。

 

最近、そこはかとなくいろいろなことを常にぐるぐると

考えているのですが、そのひとつひとつは

たぶんそのときの自分にしか考えられない、

今後の人生ではもしかしたら二度と出会えない

貴重なものなのかもしれない・・・とかそんなことを思うようになりました。

 

日記とかあまり続かないのだけど、

ゆるゆる思いついたこととか、経験したこと、

書き残していけたらいいなあと思った次第です。

 

日常生活の愚痴から、哲学的なよくわからないことまで

テーマの広さだけは他のブロガーさんに負けないブログに

してゆきます!(笑)